2012年01月15日
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続・昔の代田のパノラマ模型と代田南地区会館

Written By: 川俣 晶連絡先

 話が猛烈に変な方向に流れていて面白いぞ。

前回までのあらすじ §

  • 花見堂は字名であり、花見堂小学校の敷地にお堂があったのかは分からない
  • 対象は桜ではなく「四季折々の花」
  • つまり、場所や対象はともかく、一応花見をするお堂があったらしいという解釈であった

きむらたかしさんのご教示 §

(「世田谷の地名」昭和59年3月10日世田谷区教育委員会p213より)

花見堂==古い文献的資料も伝承もなく、その由来は全く詳でない。しかし、上北沢村の元禄14年の検地帖に「花見戸」なる地名がある。(中略)「毛見・花見。大花見池・花見石・気見川・計見・検見川という地名について、①毛(作物)を見ること、すなわち役人が稲の穂を見て、米の収穫高を見積り、税額を決めたこと、② 日陰や湿地で耕作に向かぬところ、③水辺の樹木ある所や田んぼの間の小さい林(長野県南安曇郡・東筑摩郡方言)。(中略)「字花見堂の地形は、北斜面の丘とその北に続く幅100m余の水田であるから、説明の②にも③ にも該当した時期があったかも知れないし、また、水田を別にすると、北斜面の耕地は最後に開墾されて検地を受けた処とも考えられる。(中略)また松原に住む旧家の上保氏一族は、武田信玄に追われて信州からきて、松原に隠れ住んだのがはじまりということであるから(古老上保重幸氏談)、この辺に長野県の方言がひと頃定着し、次第に訛ったとしてもおかしくはない。

 軽く検索して納得しようとした説明とまるで違うぞ!

 まあ確かに、下高井戸の字の「蛇場美」も、文字から受ける印象と違って蛇がいる美しい場所ではなく崖地の意味があるそうだし、「花見」に花を見る以外の意味があっても不思議ではありませんが。でも、まるで解釈がかすりもしないのは驚きです。しかも、話がまわりまわって上保さんに行き着くとは!

鶴塚について §

 鶴塚の方は、近くの環七ないしその近辺にあったという伝承があるようですね。きむらけんさんの地図に場所が明示してあるようです。しかし、現在では痕跡が無い……というか本当にあったのかも分からないようですね。

感想 §

 いずれにせよ、若林と世田谷代田の中間領域はあまり足を踏み入れていない未知領域です。まだまだ追求する余地はありそうですね。

 今日はせっかく世田谷の郷土資料館の前庭まで行ったのに、中に入らず帰ったのは惜しい。図書コーナーでいろいろ資料を見てくれば良かったなあ。場合によっては、近くの中央図書館まで足を伸ばせたはず。

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